もういくつ寝ると

年の瀬も迫り放ったらかしにした半釈迦をいじってみる。
物事の表面を撫でるようなTwitterと、イベント告知に特化したmixiのアカウントに日々の衝動が吸収される。知的好奇心はPodcastで満たされる。
足を着ける地面を見失った昨年夏〜秋とは違えど、「まだ大丈夫」「これも経験」と思いながら白目剥くような性質は変わっていないのだなと思う。
蜘蛛の糸を命綱に、底なし沼でメッシープレイに興じるような女になるってタイムマシンがあったら中学生のみっきさんに教えてあげたい。


長期目標を設定できないうちの損得勘定は無駄な一喜一憂に繋がる。
経験という指標は全てをおばかポジティブにするからあんまし頼っちゃいけない。
個性の追求なんて論外。我が社の本来あるべき姿、こうであるべき私自身、なにやらを見失ってはいないだろうか?という問いかけは胡散臭くって、
そうゆうことが普通っていう自己実現教のひとは、自分探しやコンセプト探しの迷宮で山びこみたく◯えたい◯にたいってゆってる。
ハーメルンが笛を吹いてねずみ講式に川へ落ちてゆくんだったら聾唖者になりたい。仲良くなれなくたってそんなもの信じない。


とりあえず身体っていうからには、続けて3回身体が合わなかったら潮時だと思うのです。
OSとアプリの相性よりも上下インナーが揃ってるかどうか見てもいいんじゃん。